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”私”などいらないよ。

とある知り合いの方が、アンドロイドの開発者として知られる石黒浩さんにぼくのことを紹介してくださったようです。そして、その方を通して、石黒さんからぼくへ、この動画を見て欲しいとのメッセージをいただきました。

Hiroshi ISHIGURO [ 石黒 浩 ] - TEDxSeeds 2011

以下は、この動画を見て、ぼくが感じたことです。

「脳と体、精神と肉体を切り離して人間でいられるのか?」

「精神と肉体にまたがるコアになっている真の人間性とは何か?」

などは、ぼくが舞踏で追求していることとも重なります。

稽古を始めた時、よく師匠から、「”私”などいらないよ。」と何度も言われました。
最初は、よく意味が分かりませんでしたが、時が経つにつれ、その意味が少しずつ分かってきました。
つまりそれは、”こう見て欲しい私”という意識などいらないと言っているわけです。

”私”という意識がなくても、観客からしたら、あなたは十分あなただよ。

逆に、その意識があなたの本当の存在を見えなくしているよ。

という所でしょうか?

それから、また師匠からこんなことも言われました。「時には肉体をただの物として扱いなさい。あなたは石です。感情などいらないよ。」

あの精神を持たない存在であるアンドロイドが、誰かにとっては、マリア様に見えたという話を聞いた時、師匠のその言葉を思い出しました。

意識と無意識。存在と非存在。生命と物質。精神と肉体。

ぼくが知る優れた舞踏家は皆、いつもその狭間を自由に行き来しながらたゆたっています。なぜならば、その狭間にだけ、人間存在の深淵(あるいは人間を超えたものの存在)に触れる何かがあるように思うからです。

そして、おそらく、このようなことは太古の昔から人類が直感的に捉えていたことのような気がします。

きっと、その中から(踊り)というものも、生まれて来たのでしょう。

私たちは、進化をするに連れて、再び人類が誕生した頃の最初の直感に戻ろうとしているのではないでしょうか。

しかし、今度は直感だけではなく、それを探求するという意識を持って・・・。



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