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劇評/田中誠司舞踏公演『風のない子』by 由上由美

付けていた首飾りが切れて、イミテーションの真珠や紫色の細かいビーズが階段に飛び散る。散ったそれらは、美しい塵となってホールへと下る階段を転がって行った。薄暗い階段に色が溢れる。

最終公演を30分後に控えた日暮里d倉庫の階段で、私は思わず立ち竦んだ。
首飾りが切れるなんて、やっぱり、不吉やよな・・・。

その時、後ろから階段を駆け抜けてきた阪東佳代が、
切れたんや。それって舞踏的にはおもしろいやんな。
美しい瞳をくちゃっと細くして、顔全体で笑ったまま、そんな言葉を残し通り過ぎて行った。

舞踏的には・・・なるほど・・・そうかも。
変に納得して零れた珠を拾いあげ、満席のホールに向かう。

7月を前にした梅雨の東京で、田中誠司の舞踏公演「風のない子」を3日連続で見届けてきた。

ロビーには、パートナー阪東佳代さんが、田中誠司さんをモデルに描いた「風のない子」が飾られている。春に白日会で「文部科学大臣賞」に輝いた作品だ。

無為のままそこにある存在が、胞衣に包まれる嬰児のように逆さに眠る。その白い顔と手が、押さえた色彩に映える。

その隣には、まるでその絵とペアの様な色彩の花束が飾られていて、それは誠司さんの舞踏の師である大野慶人氏から贈られたものらしい。

ロビーは既に、誠司さんの舞踏公演の雰囲気を暗示している気がする。

配られたリーフレットには、踊りの構成が案内されていて、プロローグは、まるで幻想小説の一場面のような世界が、舞踏家本人の文章で描かれていた。

その文章からは、土方巽や大野一雄が創始した「舞踏」というものを握りしめつつ、巡る季節の中で、彼固有の世界へと深める覚悟が感じられたりする。

舞台には四本の角が、見えない糸で吊るされて、四角の結界のようなものを作っている。
奥には黒い幕の真中に、異界への入り口の様な白い布が垂れ下がっていた。

実は、この四本の角は、本物の蝦夷鹿の角で、そこには、秘話がある。
田中誠司舞踏スタジオでレッスンしていたある青年が、人生の岐路に立ち、激寒の北海道へと旅立ち、見知らぬ牧場で過酷な労働に挑んだことがある。心身ともにくたくたになって、疲れ果て帰って来た彼が、その手に持ち帰ってきたのが、牧場に転がっていたという鹿の角なのだ。

その角で作られた結界の向こうに、異界への入り口が見えているのだ。
流れていた、静かな音楽が、少し音量を上げたかと思うと、徐々にホールは暗転に包まれていく。同時に音楽も止む。

漆黒の闇。

沈黙の息吹。

うっすら、照明が舞台を照らし始めると、そこに田中誠司が背を向けて横たわっていた。

第一場・・・後戸の神・・・

裸に紋付羽織を身に着けただけの舞踏家が、観客へと真正面から向き合い心を繋げ、繋げた魂を握りしめたまま、誘うように舞っていく構成になっている。

柔らかく、ゆっくり緩やかに踊る肢体が、滑稽だったり不気味だったりしながら、神秘的に動いていくのに、観る者は、舞踏家と一緒に、場を清めながら、日常をしばらく置き去りにして、奥へ、奥へと足を進めることになる。

客席の私は、彼の揺れる肢体のその「からだ」そのものの魂というか、魂魄・・・に引き寄せられ、気付けば舞台の深淵を一緒に歩きはじめていた。

観るものが舞踏家と一つになった。その瞬間、彼は舞台の奥の闇に、本当に吸い込まれるように消えて行った。

第二場・・・胎内・・・

異界への入り口のように垂らされた白い布から、裸の田中誠司が静かに現れる。
それは、母の子宮へと還る入口にようだ。

結界の中はまるで羊水に包まれた胎内ように、彼を迎え入れ、その中で、彼は静かに静かに身を横たえていく。ゆっくり、すべての感情を消し去り、まるで命すらないひとつの闇となって、沈んでいく。

「無」に還る時間・・・。

やがて、目覚める命が、起き上がっていく。
徐々に目覚める身体は、あらゆる苦しみと恐れを抱え、それでも上に上に、地に引きずられながらも、天へ天へと希求の魂を内包して登って行く。

命は美しいばかりのモノではないのだ。原罪を背負いながらもそれでも生きることを選択する魂の悲しいような希望に、私は涙が溢れるのを止めることができなかった。

第三場・・・父なるものへ・・・

暗転の中、びゅーんと研ぎ澄まされた音が響く。

照明が這うように舞台を照らすと、そこには和の色調の駒が回っていた。
静寂の中、駒だけが回り続ける。駒は力の限りを廻り尽くすと音もなく回転を止めた。

照明が舐めるように舞台を登り始める。

するとそこには不思議な男が立っているのだ。
蝶ネクタイに白いシャツ。黒いズボンに、カラフルなベスト。
右手には大きなスプーン。左手にも大きなフォークを握りしめている。
およそ、ダンスとは不似合いな、不思議な立ち姿でひたすら立っている。

舞台中央には色鮮やかな花束が・・・

男は静かに動き始める。だが、スプーンとフォークを持たされた手は、踊ることを赦されてはいない。表現することを絶たれた手を持つ男は、スプーンで目を隠したり、フォークを振りかざしたりしながら、身体に狂気をため込んでいくのだ。狂気と化した男は、クレージーに、しかし深い重量を持つ身体として、舞台を移動していく。

爆発してほしい!

見ていてそう思う。内包した狂気を爆発させてほしい!
もっと、もっと、もっと!!

見ている私の中にも狂気が溢れた時、
男は放心したようにスプーンとフォークを手から落とすと、
グォーと叫び声を上げながら、狂ったように花の山を崩し始めた。

叫び声が響き渡り、男は花の海を転げまわる。舞台中に散らばった花の残骸の中から、男はたったひとつの選ばれた花を見つけ出す。
そして流れ始めた音楽と、明るくなった照明の中、たったひとつの花と踊り始めるのだ。

たったひとつの命との、愛の踊りだ。

田中誠司の身体は、時々浮世絵の中の歌舞伎役者のように、美人画の花魁のように、色っぽく形を作っていく。そのままで、そこにいるままで、美しい一幅の絵になるような、たまらない色気を持っているのだ。

その姿に観客は酔いしれる。とにかく美しい。

やがて、狂おしいほど愛おしい花を、静かに舞台に置いて、彼は静かに後ろの白い幕に溶け込むように消えて行った。美しさの余韻を残して・・・

読書感想文を書くという宿題で、あらすじばかりを書いてしまう子どもの作文のように、観たものの、骨格しか書けてはいないのだが、公演のスコアノートとして、これを書くことにした。

三日連続で、一人の舞踏家のソロ公演を観る。という体験は初めてのことで、そうであったが故に見えてくるものも多く、感動も倍増する。ただ、観られる側にとっては若干迷惑なのかな?と思わないでもないが・・

今回は地方で活動する若い舞踏家が、東京での三日間のソロ公演を行うという、冒険とも言える取り組みで、そこには彼の舞踏への並々ならない覚悟があったのだと思う。

その緊張の中迎えた初日は、震える心で、必死で踏ん張り続ける田中誠司の肉体に感動を感じた。

二日目の第一場「後戸の神」は、一日目では「指先の表現」に逃げたかもしれない身体を見事に修正し、魂魄のダンス言えるところまで深めていたのには驚いた。
音楽も照明も、どんどん修正されていて、若いスタッフたちのエネルギーを見た気がした。

三日目は、三度准ることになるかもしれない導線を断ち切り、立ち止まり、立ち尽くし、嘘のない身体への挑戦を舞台上で繰り返していた姿に、明日へ繋がる手ごたえを感じたりした。

第三場は、もっともっと、狂気そのものを、ぶつけるように踊ってほしい!
観ている時はそんな風に感じたりもしていたが、今公演を振り返る時、深い重力を感じる動きが、悲しい狂気として蘇り、改めて、動きに逃げるダンスをしなかった舞踏家の魂に感動したりもする。

家に帰りバッグを整理していると、切れた首飾りのガラス玉が、色とりどりにバッグの底に転がっていて、それは田中誠司が掃けた後の舞台に散らばっていた花の残骸を連想させる。

冷たい風が吹く雨の奈良の午後、私はまだ、「風のない子」の風景の中にいるような気がしている。



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