FC2ブログ

You are not Logged in! Log in to check your messages.

Check todays hot topics

Search for Services:

Please Log in

「生きることの信頼を取り戻す」@宮台真司ゼミ(前編)

先日、首都大学東京の宮台真司ゼミに特別講師としてお招きいただき、田中誠司舞踏ワークショップを行わせていただきました。

このワークショップは、6月に東京で開催した田中誠司舞踏公演『風のない子』に宮台真司さんがゼミ生の勧めでお越し下さったことから実現したものです。

まず、この貴重な機会を企画し、微細にわたり尽力してくれた、宮台真司ゼミの立石浩史くんに心から感謝をいたします。

大学に着くと、さっそく宮台真司さんから、丁寧なご挨拶をしていただきました。公演のときは終演後にお会いすることが出来なかったので、この時が初対面でしたが、とても誠実で柔らかな方だという印象を受けました。

教室に入ると、少し緊張した様子の生徒さん達がいました。もちろん彼らの殆どは、舞踏というものを見たことも聞いたこともない人たちばかりで、その内の半数が、中国からの留学生の方々でした。

僕が追い続けているこの舞踏という芸術のエッセンスを、どのくらい彼らに体験してもらえるだろうか?出会いの刹那は、このワークショップにとって、いつも一番大切な時間です。

程よい緊張感の中、静かに着替えや準備を進めている間、今回、サポートに来てくれた盟友の田中庸平くんが、彼の自宅から持ち込んだシンプルな機材による音響と照明で、教室を異空間に変えてくれました。(この彼のさりげない仕事が、どれだけ今回の場作りに必要であったか)

場が整うと、最初のワークショップの始まりです。
参加者は、宮台先生を含む16名。

初めに立つ稽古。
参加者全員に横一列に立ってもらい、僕が一人ずつの前に立って行きます。
「僕の体全体を鏡だと思って、あなたの体全部を写してみてください。僕の体に映っているのは、田中誠司ではなく、あなた自身の体です。」「目は目を映し、胸は胸を映し、足は足を映します。感情は必要ありません。ただ、BodyにBodyを映してみてください。」

僕が前に立つと、殆どの場合、立たれた側の人は突然不安に襲われ、体が硬くなり、目が泳ぎ、自分の体を他者の体に映すどころか、途端に僕との間に防御の壁を築いてしましまいます。今回の参加者たちも例外ではありませんでした。
おそらくそれは、初めて会う人に無言で目の前に立たれることの緊張と不安により、「これは何をしているのだろう?」「この人は一体何を考えているのか?」「もしかしたら、自分を傷つけるかもしれない」「自分の本心が見透かされているのではないか?」といった様々な思考が働くからでしょう。

彼らは僕の表情から必死で何らかの情報を読み取ろうとしますが、僕からは何一つ受け取ることは出来ません。なぜなら、僕は、何も考えず、ただ鏡としてその人の前に立っているだけだからです。そのことがさらに彼らを不安にさせます。

すなわち、その人が感じている恐怖は僕のものではなく、その人自身のものなのです。その人の恐怖心が、ただ僕の体に映っているだけなのです。このようにして、人は往々にして自分の周りの世界を勝手に自分の心が見た恐怖の世界に変えてしまします。そして、恐怖を感じると、無意識の防衛本能により、体の前方の、主に胸から顔にかけての部分だけに意識が偏り、集中してしまうことがよくあります。そのとき、それまで感じられていた、周りの音や光を正しく知覚出来なくなり、その瞬間、世界との繋がりが絶たれるのです。こうなると、再び自分の実存を取り戻すことは困難になります。

ここで重要なのは、恐怖を消すことではなく、恐怖によって起こっている体の状態を客観的に知覚することなのです。そして、もしその体の状態を知覚することが出来れば、前方だけに集中してしまっている意識を、背中や指先、あるいは空間へと広げていくことにより、心の状態を、内向きの閉じたものから、外向きの開かれたものへと変化させることが出来るのです。そうすることで、結果的にその人は恐怖から抜け出すことが出来、再び世界との繋がりを取り戻すことが出来るのです。

肉体は内部と外部と繋ぐツールであり、私と他者、私と世界を繋げる媒体でもあります。体の状態を自覚し変化させることで、自分の意識の状態を変化させることが具体的に可能になります。(この辺りのことは、カウンセラーであり作家でもある高石宏輔さんの著書『あなたは、なぜ、つながれないのか: ラポールと身体知』と深く共鳴する部分でもあります。)

宮台先生を始め、ゼミ生達は、必死で僕についてこようとしますが、思考が身体に追いつきません。
しかし、この思考と身体の間にある隔たりを確かに深く感じることが、この稽古にとって何より大切であり、これを誠実に行えば行うほど、逆説的にその距離の果てしなさを痛感することになります。

このようにして、舞踏の稽古はいつも、不安の中で身を晒して、世界と向かい合い、ただ一人で立つということから始めます。

それから、今度は一人一人、自分の体を鏡にして、360度の風景を体の隅々に映しながら、ただひたすら、真っ直ぐ歩いてもらいました。自分が進むと、体に映る風景も刻々と変化していきます。

「今、あなたが立っている場所が現在です。現在とは、漠然とした概念ではなく、肉体で感じる、この一瞬一瞬の現実のことです。そして、前にはあなたが、これから生きて行きたい未来があり、背後にはあなたが生きて来た過去があります。どうか、あなたの一番の丁寧さで、現在と過去と未来を肉体に映しながら、一歩一歩、歩いてみてください。」

参加者たちが歩きます。
「やり直しです。ぜんぜん丁寧じゃないですね。たとえ自分が思うように丁寧に出来なくても、丁寧にしようとしたかどうかぐらいは、分かりますよ。今の100倍の丁寧さで歩いてみてください。」

その瞬間みんなの目が変わりました。場に本気の空気が流れます。
そこにあるのは、上手いも下手もない、ただ自分自身に対してどれだけ誠実であれるかという本気の勝負です。正直、ゼミ生の方々の集中力と体の変化には驚きました。

休憩時間
ふっと緊張が溶けた空気の中で、宮台先生だけが一人、黙々と歩く稽古を続けていました。

(後編へつづく)


COMMENT

管理者にだけ表示を許可する

TRACKBACK

トラックバックURL:

    (copyボタンはIEのみ有効です)
« | HOME |  »